渡米100日目の記録

3月下旬に渡米してから今日で100日目でした。最初の3ヶ月ほどはとにかく辛いと聞いていたのですが、元々の気楽な性格のせいか、年をとってオバサンの鋼の心を身につけたせいなのか、特にツライこともなく楽しくすごしています(腹が立つことはありますが)。100日間の感想を思いつくままに少しあげておきます。

 

1. 生まれて初めて”几帳面な人”になった!

日本ではテキトーな性格ゆえ他人にストレスを与えていたこの私が、アメリカではすっかり”几帳面な人”として認識されています。非常に気分が良いです。これは、渡米により私の几帳面さが増したわけではなく、周囲のアメリカ人との相対評価によるためだと思われます。アメリカ人、一体何をどうしたらそんなに不器用で大雑把になれるのでしょう。こんな人達がどうやって宇宙にロケットを飛ばしたのか本当に不思議です。優秀な人たちと、普通の人たちとの差が大きいのではないかと思われます。”大雑把なO型”と言われた私も、普通にしているだけですごく仕事が丁寧だと言われます。確かに私はティッシュにメモして後でわけがわからなくなったりしないし、電子レンジで熱湯を吹きこぼしたりはしません。3グラム測ってと言われた粉を3.7g測った上にこぼすようなヘマもしません。普通に働いているだけで”ちゃんとしている”と思われるのが新鮮でした。ホンモノの几帳面な日本人がアメリカで働いたら”神経質”とさえ言われるのでは…。ただし、ちょっと手先が器用で真面目に働くだけでは、便利な技術要員になってしまうので、ちゃんと脳みそもある事を証明しなければならないと感じています。

 

2. まとまった意見を言えるよう訓練が必要

英語だから・・というわけではなく、日本人は口数が少ないと感じました。寡黙なアメリカ人もいるんでしょうけど、職場の人はアメリカ人も外国人もよく喋ります。沈黙が怖いのではないかと疑うくらい。同じ常識を共有していないので、一から十まで言葉で説明して確認しあっているというのもあるのでしょうけど、大きな声でウルサイなと感じてしまう程です。英検1級を受けた時、”日本人は論理的に書いたり話したりするのが苦手”という一般論を聞きましたが、アメリカ人とて皆が皆論理的に話しているわけではないようです。繰り返しや、主題と関係ないと思われるような事も混ざっていますが、とにかくよく喋る印象。意見を聞かれて一言、二言しか話せないようでは、何も考えていないのと同じと思われてしまいます。日本では、私は女性で、職場では比較的下っ端ということもあり、意見を求められることなど殆どありませんでしたが、こちらでは何か発言するよう求められます。”はい、そう思います”、”いいえ、そうは思いません” の後に続く、ある程度まとまった意見を言えるよう普段から心がけないといけないと思いました。

 

3. ネガティブ思考は禁物

日本の職場で感じていた悲壮感がありませんし、いつも愚痴や不平を言っている人がいないのは良いことだと思いました。そのかわり、妙に自信満々の人や、身の丈に合わない自慢をしていると感じる人はいますが。謙遜は言葉通りに受け取られて通用しないし、いつも悲観的な事を言うのは嫌われるのではないかと。ハリボテの自信もどうかとは思いますが、愚痴や不平不満、悪口ばかり言っているほうが気が滅入ります。前の職場では、”そんな事をしたって何の意味もない”というのが口癖の先輩がいたのですが、その人と離れることで本当に気持ちが晴れ晴れとしました。ネガティブな思考、態度は自分自身を損なうし、周囲の人にも悪い影響を及ぼします。職場では愚痴を言い合うのではなく、ネガティブな態度はNG!とするほうがスッキリしていいと思いました。

 

とりあえず思いつくままに書いてみました。もしかしたら今後違った感想を持つことになるかもしれないし、今の気持ちを忘れてしまうかもしれませんが、100日めの記録として残しておきたいと思います。アメリカに行くことについては決めるまでだいぶ悩みましたが、新しい事を体験出来て良かったと思っています。

 

<今日の一枚>

美術館にて。ガラス作品の部屋。

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