To the Best of Our Knowledge より、Anthony Shadid – After the Violence in Iraq。Anthony ShadidさんはNYTのJournalistで、これまで二度Pulitzer賞を受賞された中東取材で有名な方です。2011年12月のインタビューですが、今日TTBOOKホームページのトップに掲載されていたので聞いてみました。
以下インタビューから要約。
2003年、ペニンシュラ・ストライクという、アメリカ軍による大規模な作戦があった。その数日後にイラクのある町を訪れたところ、15歳の少年を含む市民が何人か作戦に巻き込まれて亡くなったらしく、大勢のイラク人が嘆いていた。そこで、イラク人でありながらアメリカ側に情報提供をしていた男がいると噂が流れていた。しばらくしてその町を再訪し、その情報提供者がどうなったかを尋ねたところ、その男は自身の父により殺されていた。詳しく話を聞いてみると、イラクの部族長が諜報者の父に、息子を殺すか、さもなくば部族長たちが一家全員を殺すからどちらかを選べと父親に選択肢を与えた。苦渋の選択を迫られた父親と兄弟は止む無くその男を殺すことにした。ある日、父親と兄弟は諜報者である男を呼び出し、父親が2−3発銃弾を撃ち込んだのだが、父親はその場に崩れ落ち、とどめをさすことが出来なかったため、兄弟がとどめの一発を撃った。父親へのインタビューで、”預言者エイブラハムさえ、自分の息子を殺すことはなかったのに”と嘆き悲しむ姿が忘れらない。
このストーリーを、当時勤めていたワシントン・ポスト紙に掲載したところ、人々の反応は、いかにイラクが残酷であるか、とShadidさんの予想とは反するものだった。Shadidさんは、これはアメリカの介入がもたらした結果だということを伝えたかったのに。イラク戦争によりもたらされたのは、怒りや復讐心だったと。
Shadidさんは、この戦争の意味を探そうとしましたが、はっきりとした意味は見いだせていないようです。またイラク戦争後に、ベトナム戦争後と同じように戦争の意義について大きな議論が起こらなかったことに懸念を示しています。
Shadidさんは取材中に銃で撃たれたり、リビアで誘拐されて暴力を受けた経験もあるようです。先週、取材中にシリアで亡くなったとの死亡記事を見た時は、不幸な事故に巻き込まれたのかと思いましたが、この記事によると、喘息発作で亡くなったようです。Shadidさんは紛争そのものよりも、戦争のその後や、普通の人々がどうなったか、ということに焦点をあてて取材をされていたそうです。打倒フセインを掲げてイラク戦争に踏み切ったアメリカの正義ってなんだったんだろう、と考えさせられた内容でした。