第16回ヴァーチャル夏休み参加

今年もやってきました、第16回ヴァーチャル夏休み。今日から開始です。

今年の目標は

1100 words 21週目から

・英会話週1回30分

百年の孤独の文庫版を読む

・洋書を毎日聞く/読む

・LingQ単語カード

です。

オンライン英会話はもしかすると9年ぶりくらいかもしれない・・・。ずっと習っていた先生が亡くなられてからオンラインはしていなかったし、カフェ英会話に1−2回参加したところでパンデミックが始まり対面会話が出来ない時代になってしまいました。

平日仕事後に毎日英会話する気力はもうないので、週1回Camblyで英語ネイティブとレッスンすることにしました。いつもキャンペーンをしているのか、たまたまなのか、割引されていました。12ヶ月続けられるか自信がなかったので、3ヶ月で1ヶ月あたり5,195円のコースを。

Screenshot

 

さっそく今日スコットランド在住の先生を予約してみたのですが、初回だったからか、30分のうち15分はレッスンの流れの説明でした。用意されていた“Movies”トピックは、新出単語が director, plot, laugh, cry など簡単すぎたので、普通に映画の話をしました。お互いのことをある程度知って、自然な会話になるまでしばらくかかりそうです。

 

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The Trial(1925) / 審判

The Trial / 審判

【あらすじ】

Kについてはごく平凡なサラリーマンとしか説明のしようがない。なぜ裁判に巻きこまれることになったのか、何の裁判かも彼には全く訳がわからない。そして次第に彼はどうしようもない窮地に追いこまれてゆく。全体をおおう得体の知れない不安。カフカ(1883‐1924)はこの作品によって現代人の孤独と不安と絶望の形而上学を提示したものと言えよう。

 

【感想】

カフカ没後100年なので読んだ本。星四つ。未完が気にならなくなるほど全体が理不尽でした。起訴されているのに理由も知らされぬまま進む裁判。弁護士も進行具合を知る事は出来ない。運良く無罪になっても帰宅する頃には同じ罪で再度起訴される事もある・・・という訳のわからない裁判制度なのです。読み進めていく内に全体像が明らかになることもありません。

 

裁判5年目の男が先輩として親切に仕組みを教えてくれるのですが、弁護士宅のメイド部屋に住込み、弁護士の意のままに操られているのです。しかも5年も裁判のために費やしてきたのに実は始まってもいなかった事が明かされます。なんという理不尽さ・・・。

 

終盤、聖職者が主人公Kに法の門番の話をします。中に入ってはいけないと門番に言われ、その場で一生待って人生を終える男の寓話です。実はその門は男のためだけに用意されたものであり、中に入ろうと思えば入れたのだ、という事を門番は男の死に際に打ち明けます。

 

この門番の話は、これまでの裁判とK. の関係をあらわしているようです。この不条理な裁判の行方もK. の選択の結果だったということでしょうか。

英語自体は難しくないのですが、理解し難い作品でした。うわー、訳わかんない!と思いながら読み進めたのですが、最後の門番の寓話がなんとも言い難い雰囲気を醸し出していて、このパートを読むためにこれまでの不条理に耐えた甲斐があったと思えました。

 

YL:7.5くらい

語数:86,847語

 

紫尾温泉で読書。

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Love in the Time of Cholera

Love in the Time of Cholera コレラの時代の愛

【あらすじ】

夫を不慮の事故で亡くしたばかりの女は72歳、彼女への思いを胸に独身を通してきた76歳の男から、突如、愛を告げられた。記憶と期待と不安が交錯する二人を乗せた蒸気貨客船が、コロンビアの大河を悠然とただよい始めた時――。内戦が疫病のように猖獗した時代を背景に、愛が愛であることの限界にまで挑んだ、かくも壮大な物語。

 

【感想】

G・ガルシア=マルケス4冊目。ラブストーリーは苦手なのですが、この作品は味わい深くて非常に良かった・・・。余韻も長くて、2−3日は他の本も読めなかったほど。

 

20代の時に振られた女性が未亡人になるまで51年9ヶ月4日待ち続けた男。ただし純愛ではなくその間に622人の女性と寝て“女“というタイトルのノートにまとめていた、というなんとも変わった愛の物語なのです。

 

Florentinoは愛する女性からの手紙を一文字一文字、薔薇を食べながら味わいます。え、何で???と思わせないのがガルシア=マルケスのすごいところで、恋は盲目どころか、愛に生きるとはこういうことか!と有無を言わせぬ説得力がありました。

 

Florentinoは恋文が得意で、代行業を始めたら女性側、男性側に頼まれ自分で書いた恋文に自分で返事をするという事態になったりします。51年9ヶ月と4日、このような調子で次から次へと不思議なイベントが起きるので、読み終える頃にはすっかり恋愛脳になっていました。

 

結婚した女性の方も夫といがみ合いなど色々あったけど、老年になるにつれ変化する愛を表現した文章にグッときました。

“For they had lived together long enough to know that love was always love, anytime and anyplace, but it was more solid the closer it came to death.“

 

20代から70代までの主人公の人生が描かれているので、読みながら自分の過去を思い出し、そして今の自分と同年代のエピソードには共感し、これから経験するであろう老年期をひと足先に経験する、素晴らしい読書体験でした。場所も時代も違う、しかもフィクションなのに、ここまで物語に引き込まれたのも珍しい。

 

もとはといえば、マンダロリアンが好きすぎて新シーズン出るまで待ちきれず、主演のペドロ・パスカル氏オススメ本まで読んだらその中に百年の孤独があって、ガルシア=マルケスにハマったのでした。私の人生にガルシア=マルケスをもたらしてくれたペドロに感謝。英語で手に入る分は全て読もうと思います。

 

YL:7くらい

語数:149,364

 

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砂の女

砂の女

【あらすじ】
欠けて困るものなど、何一つありはしない。

砂穴の底に埋もれていく一軒家に故なく閉じ込められ、あらゆる方法で脱出を試みる男を描き、世界二十数カ国語に翻訳紹介された名作。

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。(Amazonより)

 

【ネタバレ感想】
今年3月は安部公房生誕100周年とのことで、新潮文庫の100冊に入っていた砂の女を読みました。すごい本でした。読んでいる最中から砂の感触が不快に感じられて非常に不愉快な読書体験なのですが、先が気になってしょうがない。でもグイグイ読めないのです。主人公が生きていくだけで精一杯なのと同じくページを進めていくのも大変に感じられて。

 

砂に侵食される集落を生き延びさせるために砂かきをするだけの人生。家の敷地外に出ることは許されず、家の中にはテレビやラジオさえない。新聞さえ配給制という貧しい暮らし。もちろん脱出したいのだけれども、読み進めるにつれ、戻りたいと切望している元の教師生活も灰色な生活ではなかったのかと思い至るのです。今の砂防のためだけに生きる生活に意味はあるのかと憤っているが、そもそも元の生活も価値あるものだったのかと。自分の夢も希望も生気も砂に吸い取られていく読後感でした。

 

これだけ不快で重い本ならば、途中で投げてもおかしくないはずなのに、読む者の深層心理に揺さぶりをかけてくるような作品でした。

 

映画化された作品が死ぬまでに観るべき映画1001作品に入っています。勅使河原宏監督は、この作品で日本人で初めてアカデミー監督賞にノミネートされたそうです。今まで安部公房なんて読もうと思ったことはなかったけれど、生誕100周年の宣伝を目にしたり、大人買いして詰んであった新潮文庫の100冊に入っていたり、修行中の死ぬまでに観るべき1001作品だったりで、出会うべき作品だったのかもしれません。

 

 

ナミブ砂漠にて。ジメジメしたイメージの砂の女と違って灼熱の砂でした。

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マリアージュフレールでランチ

英語仲間のエミコさんとマリアージュフレール銀座でランチしました。

 

今月末からディズニープラスで始まるショーグンを楽しみにしているあまり、1000ページ超の原作本も読み、ジャパンプレミアも応募し、参加する気満々だったのですが、2人とも外れてしまいました。せっかく休みを合わせたので2人で残念会です。

 

レンズ豆の前菜と、小羊肉のメイン、ペアリングされたお茶とデザートで5500円。お料理に合わせたというオススメのお茶は定番中の定番、マルコポーロでした。600種類以上もの紅茶がある専門店ならば、普段自分では選ばないような変わったお茶が飲みたかったかも。もちろん自宅で淹れるより美味しかったです。

 

色々と茶葉を買い始めた年に、お高いお茶は値段に見合う美味しさなのかが知りたくなり、マリアージュフレールで100グラム17,000円の茶葉を買ったことがありました。結果は・・・好みではなかったせいか、“うーん、まぁ普通のお茶?“という感じでした。温度や抽出時間の問題だったり、素敵空間の演出なども必要だったのかもしれません。茶葉に高いお金を出すよりは、割高でもお茶の専門店で飲む方が良かったなと思えた経験でした。

 

エミコさんともコロナ禍以来3年ぶりに会えて楽しいひとときでした。今年は精力的に出かけたいです。

 

銀座三越のアクアリウム

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