【オーディオブック】American Prometheus (2006) オッペンハイマー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇

American Prometheus (2006) オッペンハイマー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇

時間: 26 時間 30 分

発音:アメリカ英語

評価:5/5

     

 

クリストファー・ノーラン監督、キリアン・マーフィー主演、2023年7月21日公開予定の「オッペンハイマー」予習の目的で原作オーディオブックを聞きました。原子爆弾開発を目的としたマンハッタン計画を主導し、指導者的役割を果たしたため「原爆の父」と呼ばれたJ.ロバート・オッペンハイマーを描いた作品です。26時間半と長かったものの、ピューリッツァ賞受賞作品だけあって聞き応え十分、興味深い内容でした。

 

ロバート・オッペンハイマーの父親は、ユダヤ系ドイツ移民で織物の輸入で財を成した人物でした。ロバートは裕福な家庭の長男として1904年に生まれます。子供の頃から優秀で、ハーバード大学では化学を専攻していました。

 

理論物理専攻に落ち着くまでに紆余曲折あり、実験物理学では手先が器用ではなかったために苦労して精神を病み、ケンブリッジ大学で同じ実験室の先輩の机に青酸カリを仕込んだリンゴを置いて大問題になります。幸い、りんごは黒っぽく変色していたため先輩はりんごを食べずに済んだそうです。オッペンハイマーの父の働きかけにより大学退学にはならずに済んだようですが、天才と呼ばれるような人物でも実験室では病むんだ・・・その辛さ分かる・・と妙に共感したエピソードでした。

 

若い頃はうつ状態で悩んでいたエピソードが多いものの、1929年大学で勤務し始めてからは話の上手いカリスマ性のある人物として人々を魅了し始めます。面倒見も良かったようで、学生たちを定期的に食事に連れて行ったり、出来が悪い学生には力量に見合った課題を与え、なんとか学位が取れるようにしてあげたそうです。

 

1939年、アインシュタインは自らの相対性理論を用いてブラックホールの存在を否定する論文を出版しましたが、その数ヶ月後、オッペンハイマーは学生とともに相対性理論を用いてブラックホールが出来る仕組みの可能性について論文を出しています。星が一生を終えて最後に爆発する時、超新星と呼ばれる大爆発を起こします。質量が大きい星が爆発すると重力崩壊を起こし、重力が大きすぎるために中性子星がどんどん小さくなり、ついにはブラックホールになる、という理論のようです。オッペンハイマーとアインシュタインは後にプリンストン大学で同僚になりましたが、アインシュタインは量子力学に否定的な意見を持ち、学問においてはオッペンハイマーと意見を対立させていたようです。

 

第二次世界大戦中の1942年、原子爆弾開発を目的としたマンハッタン計画が開始されます。当初は各大学がそれぞれに実験しており大学間のコミュニケーションもよく取られていなかったため、同じような実験をしていたりと無駄がありました。オッペンハイマーは砂漠地帯のロスアラモスに研究所を設立することを提案し、1943年初代所長に任命されます。所長任命に関しては反対意見も多く、ノーベル賞を受賞した研究員がいるにもかかわらず、ノーベル賞を受賞していない人物が所長になるのは如何なものかという意見や、共産党員である友人との交流や以前の彼女や現在の妻が共産党員であったオッペンハイマーは信用できるのか、またこれまでに大きなチームをまとめたことがないため経験不足では、などという反対意見がありました。しかし科学者からの信頼の篤いオッペンハイマーが所長として任命されます。オッペンハイマーは、科学者が彼に「こんなことがあって、これこれで・・」とあったことをつらつらと話すと「つまりそれはこういうことで・・」と話した人も理解できていなかったようなことを体系立てて上手くまとめる能力に長けていたそうです。

 

オッペンハイマーが共産党シンパであったのか、がこの本の大きなテーマになっています。ただ、オッペンハイマーの批判者が考える“共産党員“と科学者たちが考える共産党寄りの間には大きな隔たりがあるように感じました。政府やFBIが考える共産党員というのは、国家機密をロシアに漏らし、アメリカという国家を転覆させようとする反逆者です。一方でオッペンハイマーや友人たちの中での共産党というのは、ナチスドイツに対抗する人々という位置付けだったと思うのです。当時ドイツが次々とヨーロッパに侵攻しユダヤ人を迫害する中で、ソ連はドイツ軍と戦う西側の友好国と考えられていました。打倒ドイツのためヨーロッパで戦うソ連に協力したいと考えるのは、当時としては自然な流れだったのではないかと思うのです。

 

しかしリベラルで共産党員との交友も深かったオッペンハイマーの立場は原爆投下後に危うくなります。オッペンハイマーは、警告なく日本に原爆を投下するのではなく、まず警告のみにするか、警告に従わない場合は、脅し的に都市ではないところに投下するべきだったと発言し、原爆を有効な道具と考える人々と対立します。

 

また、敵国と核兵器開発競争になり、お互い核兵器で攻撃しあう可能性を危惧し、水爆開発に反対の立場を取ります。このため水爆開発を推進していた科学者や政治家と対立したことで、機密安全保持疑惑が持たれ、1954年原子力委員会で聴聞会が開かれます。聴聞会は裁判ではなかったものの、原子力委員会委員長であったルイス・ストロースが裏で糸を引き本来証拠として用いる事が出来ない非公式の盗聴記録や信用性のない伝聞による証言も使用されました。しかもオッペンハイマーの弁護側は事前に資料を読む権利も与えられませんでした。オッペンハイマーに一方的に不利な証拠ばかりで固められた聴聞会が出した結論は、彼に機密保持が必要な仕事には就かせないというものであり、事実上公職からの追放でした。

 

1963年、アメリカ政府はエンリコ・フェルミ賞を授与することで、極端な赤狩りの風潮のもとで行われた1954年の聴聞会の非を認め、オッペンハイマーの名誉回復を図ります。ケネディ大統領が授与するはずだったのですが、大統領が暗殺されてしまい後継の大統領からの授与になったのも不運続きで気の毒でした。この後もオッペンハイマーの名誉は完全に回復されたわけではなく、FBIからの監視は生涯続きました。オッペンハイマーの死後でさえ、娘さんは国連で働くための機密保持の許可が得られず通訳として働くことが出来なかったそうです。その後娘さんは自死されています。

 

この本を読むと、オッペンハイマーの愛国心は疑いようのないものであったと感じられます。核開発競争を危惧したことで、まるでアメリカの敵のような扱いを受けた彼の生涯に胸が痛みました。ノーラン監督の新作が、オッペンハイマー博士の真意が伝わる作品になることを願います。

YL:8以上

語数:180250語(概算)

 

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