語学の天才まで1億光年

語学の天才まで1億光年

高野秀行著

語学の天才まで1億光年(集英社インターナショナル)

語学の天才まで1億光年(集英社インターナショナル)

初めての高野秀行作品。辺境の地に自分が行くことになった時に感動が薄れるかも?と思い、なんとなく敬遠していたのですが、今後好んで辺境に行く事はないだろうとやっと踏ん切りがついたので読んでみることにしました。

 

私は現在、英語を中心に語学学習をしており、他の言語にはあまり興味を持っていませんでした。スペイン語圏に旅行に行った際、現地ガイドさんの声かけ“バモス!“をやっと覚えた程度です。バモス→行くよ!の声かけが分からないと置いていかれる環境だったので、それだけは自然に覚えました。そんな私がこの本を手に取ったのは、多言語を学び、実際に現地で使っている高野秀行さんの姿に興味を持ったからです。

 

本書を通じて感じたのは、高野さんが語学に対して特別な才能があるというよりは、むしろ何度も壁にぶつかり、失敗しながら身につけてきたということです。その中でも特に印象に残ったのが、彼が初めてインドを旅行した時のエピソードです。英語がまったくわからなかったために、なんとマザー・テレサ本人と会っていながら、そのことにすら気づかなかったというのです。普通、マザー・テレサと個別に会う機会があれば、ぜひお話してサインを貰い、記念写真も撮りたいですよね!?安宿で知り合った女の子の付き添いで行ったため、彼女が是非会いたい人がマザーテレサであったことに気付かず、彼女がマザー・テレサと話している間、特に興味もなく待機していたというのです。あまりに信じがたい話ですが、言葉が通じないことで千載一遇のチャンスを逃してしまう現実があることを痛感させられました。

 

もう一点心に残ったのは、「そんな私でも地元の言語を習って片言を喋るくらいはできる。そしてそれがめっぽうウケる!」という部分です。完璧な言語能力ではなくても、相手の言葉で話そうとする姿勢そのものが大きな意味を持つ――この言葉に私は強く心を動かされました。語学というのは、単に知識やスキルではなく、人と人との距離を縮めるための大切なツールです。上手に喋ることが出来ないから・・と遠慮してしまうよりも、単語レベルでもどんどん話してみる勇気が必要だと感じました。

 

高野さんが辺境の地を訪れ、現地の人々から信頼を得て多くの情報を引き出せるのも、まさにこの「自分の言葉で話そうとする姿勢」によるものだと思います。そこに言語の本質的な役割があるように感じました。

 

この本を読んで、「語学ができる」とは、流暢に話すことでも、文法的に正確であることでもなく、「話してみたい」「伝えたい」という気持ちの強さにあるのではないかと思えました。そしていつか、自分も他の言語で現地の人と笑い合える瞬間を体験してみたいと思わせてくれる、そんな一冊でした。

 

 

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