多読・多聴 わかったつもりになっているだけ・・・?

多読をされているののさんと「多読・多聴の勧めかた」についてお話をしていて思うところがあったので書き留めておきたいと思います。

 

私が2006年に多読を初めてから9年になります。2006年11月からオーディオブックを聴き始めたので、多聴歴は8年ちょっと。これまでに300冊ほどのオーディオブックを聞きました。洋書多読・多聴とLingQは私の人生を変えたといっても過言ではないほどで、出来るだけ多くの方に多読・多聴をおすすめしたいと思っています。ただ、私が友人・知人に洋書多読・多聴を勧める際になかなかうまく行かないと感じるのは、「読める、聞ける」という感覚をどうやったら伝えられるのかという点です。

 

これまで私に英語学習法について質問をした友人には、ペンギン・リーダーズのスターター本を数冊、伊藤サムさんの英語は「やさしく、たくさん」を貸し出したのですが、そのあと多読が順調に軌道にのった人はいません。その他にも中学レベルの薄い文法問題集を1冊、基本単語2000〜3000語を早いうちに覚えるという一般的なアドバイスもしているのですが、毎日英語を勉強するために、普段の生活における英語の優先度を上げる、という事自体が難しいようです。簡単な絵本レベルでも、いったん英語の本が読めるという喜びを経験すれば、その成功体験が多読を続けるモチベーションになるのではないかと思うのですが、その最初の段階に至るのが難しい。家庭教師のようにつきっきりでお手伝いするわけにもいかず、何よりも本人のやる気が一番大事なので、歯がゆい思いをしています。

 

うまくいかないのは初級者だけではありません。しばらく英語学習を続けていて行き詰まりを感じた人に多読・多聴を勧めても、スラスラ読める感覚をつかむまで続けられない場合のほうが多いようです。ある程度英語学習を続けた方でも、「本当に日本人が英語の本をスラスラ読めるのだろうか」という疑いが常にあって、多読・多聴の継続を難しくしているのではないかと思います。

 

多読・多聴の効果について懐疑的な意見のなかに、「読んだつもり、聞けたつもりになっているだけ」というものがあり、私はこの意見を見るたびに非常に残念な気持ちになります。その方の言う多読・多聴と私のやっている多読・多聴は同じものなのだろうか・・・と。実際に多読・多聴を英語学習に取り入れている方の中にも、「わかる部分だけを拾い読みする」、「筋がわかればよい」と仰っている方もいらっしゃるので、多読情報を探している人がそのような意見を読んでガッカリしてしまう事もあるかもしれません。

 

多読・多聴のことを「わかったつもりになっているだけ」と感じるならば、それは自分のレベルに合っていない本を読んでいるからだと思います。分かる部分だけを拾い読みするのではなく、1ページにわからない単語が2-3個、または新出単語でも文脈から意味が推定出来るような、平易な文章で書かれた本を選ぶと良いです。自分が楽しめる本を読むことは大事ですが、いきなり普通のペーパーバックに手を出して、筋だけを追ってそれこそ「分かったつもり」になっているのであれば、その多読法を続けてスラスラと読めるようになるかどうかは怪しいのではないかと。レベルに関係なく読みたい本に挑戦したいのであれば、それと同時にスターターレベルの本も平行して読むことが大事なのではないかと思います。

 

オーディオブック多聴についても同じです。聞き取れる部分だけをつなぎ合わせて筋を理解しているのであれば、本のレベルが合っていないと思います。最初は読めるレベルよりも下のレベルの本を選ぶと良いです。一度読んだ本のオーディオブック版を聞くというのも良い方法です。レベルが低めの本であれば、知らない単語でも文脈から意味を推定することが出来ます。分からない単語でどうしても気になるものがあれば、スペルを推定することも出来ます。LとRの混同や、イレギュラーなスペリングなどで類推出来ないものも時にはありますが、多読を続けていればその単語にいつかひょっこり再会することもあるので大丈夫です。

 

ということで、多読・多聴は「読めたつもり、聞けたつもりになっているだけ」は、決して真実ではなく、適切なステップアップをすることで、無理なくペーパーバックレベルまでたどり着くことが出来るということをお伝えしたいと思いました。私にとってオーディオブックは、日本語のラジオを聞くような感覚です。集中力が削がれると「あれ?今なんて言った?」と巻き戻して聞き直す事はあるものの、しっかりと文章が聞こえてきます。9年間も「分かっているフリ」をしているわけではありません・・・。

 

多読・多聴がベースになって、ドラマや映画のリスニングも出来るようになったと感じているので、英語学習をされている方には是非是非多読・多聴をお勧めしたいのです。英語の本を読んだりオーディオブックを理解することが出来ると言うと、「自画自賛」だとか、「上から目線」などとコメントされたり陰口を叩かれたりすることもあるので、これまで強くお勧めしたことはなかったのですが、その及び腰なところがイマイチ説得力がなかった原因なのではないかと思いました。

 

多読・多聴の事を「読めたつもり、聞けたつもりになっているだけ」とアドバイスしている人がいたならば、その人は「多読・多聴をしたつもりになっているだけ」ではないでしょうか。

 

【今日の一枚】

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フロリダ州Clearwaterにて。海を目の前にしてテンション高めな亀が可愛い。

 

 

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多読・多聴 わかったつもりになっているだけ・・・? への2件のフィードバック

  1. kov2057 のコメント:

    分からない時に潔くレベルを下げるのは、回り道ではあるけれど、確実な道なんだよね…。
    たとえレベルを下げたとしても、内容をきちんと理解できて、そのイメージが鮮やかに浮かんだ時の嬉しさって格別だと思います。
    ゆうこちゃんが書いてるように、私はこの喜びがモチベーションになりました( ^ω^ )

    • yuko のコメント:

      易しい本でも一冊読み通せた時の喜びは格別よね。それを積み重ねてだんだん読めるレベルが上がっていく、というのが理想かなと思います。多読的な読み方では力はつかない、と言っている人を見ると、自分が拾い読みレベルしているから、多読とはそういうものだと思っているのかな・・と悲しくなります。

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