アメリカ生活3年目とこれからの事

引っ越し代をケチってスーツケース2つと手荷物で、合計60kgの死にそうに重い荷物を持って渡米した日からちょうど2年が経ちました。空港に降り立ってタクシーを待っている間に、前にいたアジア系のおば様が道路に痰を吐いたのを目撃し、今自分は外国にいるんだ・・ということを強く感じたのを覚えています。

 

到着してすぐ、空港からタクシーに乗ってそのままTOYOTAに行って新車を買いました。日本にいる間にディーラーさんのウェブサイトにメールし、実物を見ずに購入。そのまま乗ってシェアハウスに行くつもりだったのが、カーナビ無しでフリーウェイに乗るのが怖くて、結局トヨタの人に家まで送ってもらったのでした。翌日納車に来てもらって、トヨタの人を助手席に乗せて運転練習…。今まで一度も海外で運転したことがない人が、いきなり1人で都市部のフリーウェイを運転するのは無謀だということを実感しました。

 

シェアハウスの手配も日本にいる間に掲示板で探してメールでやり取りをしていたので、実際に現地に行って、家があるのを確認した時はホッとしました。その後、猛烈な汚屋敷ぶりに辟易して3ヶ月で退去することになるのですが・・・。

 

今思えば色々と準備したつもりが、全く計画になっていなかった事が分かります。逆に、あまり考えていなかったからこそ海外に行けたのかも。用意周到に準備していたとしても、外国にいれば思わぬ事態に遭遇するものだし、トラブルに遭うたびに経験値が上がっていくのではないかと思います。

 

色々と考えた結果、後1年で日本に帰国しようと思います。母も私も一人っ子なので、私が海外にいると日本に残っている母の面倒を見る人がいません。まだ61歳なのでもうしばらく大丈夫・・と思っていたのですが、昨年10月にこれまでの脳天気な考えを改めるきっかけとなる出来事が起こりました。

 

母が一週間ほど持続する右下腹痛を訴え、近所の消化器クリニックに行ったところ、”憩室炎”と診断され内服抗生剤の処方を受けました。だんだん具合が悪くなるので、土曜日にSkypeで会話した時に、”虫垂炎なんじゃないの?”という会話をし、月曜日になったら大きな病院を受診する事になっていました。その後、母と連絡が取れなくなり、月曜日の朝、母が行きそうな市内の大きな病院の受付に国際電話をかけたところ、「ICUにお繋ぎします」との声が・・・。

 

母は、虫垂炎の穿孔による腹膜炎で緊急手術を受けていました。よっぽどの事がなければ土日夜間には病院に行ってはいけない、と思っていたことと、”憩室炎”の診断で内服薬を貰ったから後2−3日様子を見ようと考えたことが仇になりました。

 

ICUの看護師さんに繋がるまでの2−3分の間、もし母が危篤状態で、このまま会話することなくお別れになったとしたら後悔するだろうか・・・と考えました。海外に行くことを決めた時点で、親の死に目にあえない可能性は十分にあるという事を理解していたつもりでも、いざその時になって全く動揺しないということはあり得ません。今回は緊急手術により回復しましたが、母は慢性疾患を抱えているため、ちょっとした病気が引き金で容態が急変する可能性もあります。

 

海外に出た時点で、親の急変に立ち会えない可能性がある事は十分理解していたつもりでしたが、やはり一人っ子である以上、自分は親の近く、せめて日本国内にいるべきだと思いました。

 

今の仕事がもう少しで一段落するので、もう一つのプロジェクトにも関わりたいと思っていたのですが、そのプロジェクトが終わるまでではなく、帰国時期を決めて出来たところまでやり、後は後任に引き継ぐという形でお願いしたいと考えています。

 

残り一年、思い出深い年にしたいです。

 

【今日の一枚】

Golden Gate Bridge

 

ゴールデンゲートブリッジ。

 

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アメリカ生活3年目とこれからの事 への2件のフィードバック

  1. kov2057 のコメント:

    もう2年なんて早いね。最初の頃はハウスシェアで常に苦労している印象ばかり残ってる(ヽ´ω`)
    あと1年、今まで以上に充実した時間を過ごしてきてね。

    • yuko のコメント:

      ありがとう〜。初めてのハウスシェアだったので失敗も多かったわ…。

      後1年、特別な1年になるよう頑張りたいです。

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